瀬戸内寂聴さんが死去


 瀬戸内寂聴さんが死去したことを、阿南市での応援中に知りました。謹んで哀悼の意を表します。出身地の徳島市では、寂聴さんの死を惜しむ声が相次いだとの報道もありました。
 ノンフィクション作家 澤地久江さんは、「晩年は憲法改正の議論について国会議事堂の前に立ち演説を行うなど、仏門に入ったあとも臆することなく、一貫して政治的発言を繰り返していました。ひとりの存在として見事だったと思います」と述べたとの報道も見ました。
徳島県立文学書道館の館長「『徳島の顔』失った」
寂聴さんが2004年から10年間にわたって館長を務め、その後も名誉館長を務めていた徳島県立文学書道館の富永正志館長は「寂聴さんが寂聴塾の塾生に『自分の目で見たもの、肌で感じたことを信じて、世間体にとらわれずに自由に生きなさい』と言っていたことや、反戦や平和を情熱的に語っていたことが印象に残っている。徳島と言えば寂聴さんというくらいの有名人で、徳島の顔が失われたような気持ちだ。長い間お疲れさまでした。ゆっくりお休みください」と話していました。
文学書道館では、12日から寂聴さんを悼む記帳所を設け、寂聴さんの生涯や作品を紹介する展示室を無料開放することにしています。
共に心 若々しく
 僧侶で作家の瀬戸内寂聴さんから、今年3月の日本共産党近畿オンライン演説会に寄せられたメッセージ。
 日本共産党のオンライン演説会、ご盛会おめでとうございます。
 私は1922年5月生まれです。共産党はその年の7月に創立されたのですね。
 私のほうがちょっとお姉さんですが、ともにことし99歳、数えで100歳になることを、まずは喜びあいたいと思います。
 私は太平洋戦争を体験しました。中国・北京から帰ってきたら、実家は焼け野原、母は防空壕(ごう)で焼け死んでいました。
 父もそのあとを追うようにすぐ死んでしまいました。
 戦後、私は戦争にも原爆にも原発にも反対してきました。
 集会に出たり、国会の座り込みに行ったり、自分のできる行動はやろうと思いました。
 去年から新型コロナウイルスの感染が全世界で広がり、大勢の人が亡くなり、私たちは外を歩けなくなりました。
 かつての戦争を思い起こすような不気味さです。
 このコロナに立ち向かうためには、やっぱり政治がしっかりしていないといけません。
 ところが我が国の政府は、まずは「自助」をとなえ、対策も後手後手に回っているようです。
 自民党の議員たちは、庶民が自粛をしているのに、自分たちは銀座で遊び歩いていました。
 それどころか、国の役人が業界から接待漬けになっていると世間から非難ごうごうです。
 こんな政治は変えなくてはいけませんね。
 仏様の教えで「忘己利他(もうこりた)」という言葉があります。
 自分を忘れて他人に尽くすという意味です。
 アフガニスタンで亡くなられた「ペシャワール会」の中村哲さんはこの精神を貫かれた方です。
 私は、政治の世界でこれを貫いているのがあなたがた、共産党ではないかと思うのです。
 戦争に反対し、常に女性、子ども、お年寄り、弱い、貧しい人の側に立ち、頑張っています。
 私は以前よく「いつも選挙では共産党に入れているのにどうして伸びないのかしら」と、共産党の人に会うたびにいっていましたが、最近は様子が少し変わりましたね。
 以前は正しいことを言っていても、共産党が言うと、何かかみしもをつけたような硬い感じがしていたのですが、最近はとても柔軟になりました。
 若い人たちも関心を持ち始め、野党が力を合わせて政治を変えようと努力されていることにも期待が持てます。
 お互い数えで100歳になりましたが、気持ちはまだまだ「青春」です。
 私は若い人たちに「青春とは『恋と革命よ』」といつも言っています。
 そんな気持ちで、いい世の中にするために共に心若々しくがんばりましょうね。
  春を告げる京都・嵯峨野(さがの)、寂庵から
 瀬戸内寂聴
瀬戸内寂聴さんの言葉「人間は自由」「平和は憲法9条のおかげ ...

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