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充実、感動の「沖縄平和ツアー」!!

昨日は、13日の金曜日?徳島へ帰る予定が、飛行機の大幅遅れのため、関空付近で宿泊になりました。

沖縄でのいっぱいの思いを胸に、無事帰ってきました。

早速地域支部の支部長さんと22日に迫った演説会のお誘いに、「前の人が(清水議員の演説会)面白い話をしてくれたんで、今回も行くよ」「野党共闘頑張らんと」こんな声が多くありました。
明日も朝8時過ぎから地域の方に集まってもらい、演説会のお誘いをすることになりました。
ところで今回の新婦人のみなさんとの「沖縄平和ツアー」、今までの様々な視察やツアーの中でも最も充実した内容だったと思います。
元四国放送プロデューサーで長年沖縄平和ガイドを務められている大島和典さんから詳しい説明を聞き、改めて沖縄の実相の一端を学べました。
嘉数高台公園からは普天間基地と宜野湾市が一望でき、沖縄戦の悲惨なたたかいが始まり、様々な米軍による事件が相次ぎ、オスプレイが配備される普天間基地、過去、現在そして未来少し見えた気がします。
京都の塔の碑文、当時京都府知事蜷川虎三さんや野中広務さんの名前も大島さんから説明、本当に感謝です。
その後名護共同センターの古堅宗嘉さんがオール沖縄20年のたたかいと沖縄の豊かな自然など、明日からの私たちの旅が深く豊かなものになるようお話してくださいました。
沖縄のたたかいは、人間の尊厳をかけたたたかいだということです。13人から始まったオール沖縄の運動はオジー・オバーの戦争(いくさ)する「新基地」つくらせないとジュゴンの海を守ろうとつくった「ジュゴンの会」「命を守る会」から。やがて、その流れは、人を変え、稲嶺名護市長、オール沖縄の翁長県知事、国政選挙でもオール沖縄が勝利。翁長県政支えるために、沖縄県議選挙は命がけの選挙です。
沖縄平和ツアー2日目。辺野古へ。あいにくの雨で船が出なかったので会場からの見学はできませんでしたが、辺野古テント村すわりこみの方と交流。連帯のバナーなどを送りました。テント村すわりこみ4406日、シュワブゲート前675日。シュワブゲート前では連帯の挨拶。金網の向こう側は日本であって日本でないところ。海もフェンスがはられ監視船が。辺野古は普天間基地の代替移設施設ではない。アメリカと日本政府、戦争でもうける大企業が早くから計画し、おし進めている 新基地に他ならない。辺野古テント村の篠原さんは「新基地阻止、あきらめません」と言います。
午後からは東村高江へ。美しいヤンバルの森、ここに広大な北部訓練場(米海兵隊ジャングル戦闘訓練センター)。6基のヘリパッド建設が進められている。北部訓練場の中を県道が走る。映画「標的の村」の村で見た所です。共用地と米軍管理の国有地の境界に立ち、命がけで阻止した進入路を撮った。24時間すわりこみを続けている。ヤンバルの森は沖縄の人たちの命の水の水源地。「安保条約と地位協定をなくさないといのち・平和は守れない」と高江訴えられたことが印象に残ります。
大阪堺から沖縄に来て名護共同センターで平和ガイドをされている福山のりかつさんがユーモアを交えた楽しい案内でここでも充実した時間が持てました。雨もしばらくしたら上がりました。
辺野古の座り込みを続ける皆さんや高江の座り込みを続ける皆さんと貴重な交流ができました。
出迎えてくれた辺野古のテント村には「勝つ方法はあきらめないこと 知事と共にガンバロウ!」との強烈なメッセージが心にズシンと響きました。
2日目の最後は、沖縄本島最北端”辺戸岬”日本祖国復帰闘争碑、福山さんからの説明を受け、ここでも沖縄の実相の一断面を感じました。
3日目は朝から晩まで大島さんが案内、沖縄戦の激戦地南部を回りました。たびたび訪れた平和の礎では、大島さんが詳しくお話しされました。1955年平和の礎に朝鮮半島の人たちのために確保されている空白、知りませんでした。
 「アメリカ、イギリスなど含め241336人の名前、名前のむこうにある人生を案内していきたい」大島さんの声が強まりました。
大島さんのお父さんの名前も刻まれており、死の再確認の場であると思っていたそうですが、うちなんちゅの慰霊方法、一族単位、代々残していける、おじい喜んでいて大島さんが奇異に感じたとのこと、その意味はこの場が生の再確認、子々孫々まで続く確認の場だと・・・「死の再確認」の場であるとともに「生の再確認」の場である平和の礎、修学旅行生など大勢の方が訪れていました。
また大島さんは、外間一族の避難経路が 西原町から南部へ、3万5千体の遺骨 パーソナルヒストリー 「国家からの強制で人生断ち切られていいはずがない。死んでいくことはあってはならない。父や母の愛が消えた、こんな国家からの強制、戦争を身体を張って止めねば」、大島さんの話しに聞き入りました。
そして糸満市伊敷にある「轟の壕」に行きました。自然に出来たこの壕は、全長およそ100メートルで、沖縄戦当時、大島さんの説明では500人ぐらいの住民が避難していたといわれています。
轟の壕では、先に捕虜になった人の呼びかけに応じて投降し、最終的に600人の住民が、生き延びたとされています。しかし一方で、アメリカ軍の攻撃が続く中、日本兵に追いやられるなどして、多くの人が餓死するなどして犠牲になったといわれています。
轟の壕は足元も悪く、かがんで懐中電灯をかざし、進みました。鍾乳洞から水滴も落ちるところで、大島さんから説明を受け、その途中で、1匹のこうもりが暗闇の中で飛び去りました。
やっと外へ出てひめゆりの塔と資料館、そして3日目最後は、魂魄(こんぱく)の塔へ・・・
糸満市米須地区に、戦後沖縄で最初に建てられた慰霊塔「魂魄の塔」があります。周囲を石垣で固めた円形の塔には、沖縄戦で犠牲になった住民など、3万5千人がまつられているそうです。
摩文仁や魂魄の塔がある米須を中心に、全国のすべての、都道府県の慰霊碑があります。 しかし唯一「沖縄県の碑」は存在しません。あえてあげるならば、この「魂魄」が 沖縄県の碑といえるかもしれないと・・・
住民、軍人、連合軍韓国朝鮮人、沖縄戦で死んだ約3万5千人の人々が 軍民、人種を問わず葬られた、沖縄最大の塔である。これが戦後もっとも早く、 住民の手で作られ、平和への想いを込めた塔として、祈りをささげました。3日間通して大島さん、古堅さん、福山さんから今度の県議選、参院選がもつ歴史的重要性が共通して語られました。
沖縄最終日、徳島からの15人は、2週間後に迫った沖縄県議選の応援に比嘉みずきさん、とぐち修さん、セナガ美佐雄さんの後援会事務所に行きました。
私も4人の徳島からのメンバーと沖縄の新婦人の方たちと比嘉みずきさんの応援に、マイクを持って訴えました。
阿波弁で心を込めて訴えましたが、「遠いところからよく来たね、応援するよ」など激励を受けました。
なんとしても、7人全員当選の実現を期待しています。短い時間でしたが、充実した時間が持てました。
最後は、新婦人の沖縄、徳島の女性陣と赤嶺政賢議員の奥さんとで渾身の訴え、すごいパワーでした。.
男性陣も私以外に、事務所の方たちや地元の国吉支部長さんも加わりました。
ハンドマイク宣伝とコンコン作戦。「私は82歳、戦災孤児です。10歳の時、夜、家族と一緒に逃げている時、アメリカ軍に攻撃され、気がつくと父母たちは死んでいた。山に逃げ込んだが捕まり捕虜収容所に入れられた。金網で出入りは一切できず、檻に入れられたみたいだった。」と沖縄戦を体験した方がおられました。昨日の大島さんの話とダブりました。午後は不屈館へ。瀬長亀次郎さんの不屈のたたかいを館長で瀬長亀次郎さんの次女内村千尋さんの説明を聞きました。とても充実した濃密な沖縄平和ツアーでした。
ほぼ毎日沖縄料理、おいしかったです。このツアーを準備いただいた新婦人の祖父江さんなどの関係者のみなさんありがとうございました。

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