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大栗清實先生の顕彰碑碑前祭へ!!

今朝は県事務所の宿あけ、身なりを整えて、阿南の健生診療所での大栗清實先生の顕彰碑碑前祭へ・・・
大栗先生は、1930年1月に、東京・五反田で日本初の労働者・農民のための「大崎無産者診療所」を開設した、素晴らしい赤ひげ先生でした。
また党県委員会の大先輩でもあったことが紹介されました。
顕彰碑の前で、桜が咲く中、我々三人の県議団全員が「大栗先生の遺志を受け継ぎ、人権・平和・生命を大切にする政治実現に力を尽くします」と・・・
懇親会では、息子さんの大栗丸人さんのお父さんの貴重な思い出はじめ古田元県議や見田徳島市議と共に議員が並び、議員を代表して逹田県議が挨拶しました。

約50人が参加しました。
日本共産党を代表して、上村県委員長があいさつをしました。
以下あいさつです。

ご紹介いただきました日本共産党県委員会の上村秀明です。

故大栗清実さんは戦前、東京・大崎の無産診療所の初代所長として、今日の民医連の礎をきずくとともに、徳島県の日本共産党の礎を築かれました。
大栗清実さんは、激しい弾圧をうけて徳島に帰り、阿南市で開業して、戦争の終結をむかえました。そして、1945年9月の党県委員会の創立に参加し、1946年の第1回総選挙、1949年の第2回総選挙に立候補されました。親しみのある、じゅんしゅんとした語り口の演説は、聴衆の心をとらえ日本共産党への誤解を解きほぐしました
加えて「困ったときには金もとらずに治療をしてきた恵み深い人」と患者さんの口コミが広がり、前回の5.5倍、18041票を獲得したと語り継がれています。これは、わが党の最初の躍進期で最高の得票でした。

そして、戦前とは比較になりませんが、何回かの逆流の時期を経て、今日、わが党は、第4の躍進期を迎えています。昨年は、戦争への道を進む安倍政権に対し、戦争法阻止へ市民革命的なたたかいがひろがりました。その市民運動の後押しで戦争法廃止、立憲主義の回復という大義にたった4野党と市民の共闘が進んでいます。わが党綱領がめざす、さしあたって一致できる目標範囲で統一戦線をつくり、そのうえに立つ政府をつくるという大目標が目前の課題となっています。国民の願いにこたえ、何としても参議院選挙での躍進を実現しなければなりません。

国民のための「限りなき献身」という大栗清実さんの遺志を引き継ぎ、現実政治を動かす強大な党に発展させ、国民連合政府をつくるために全力を尽くす決意を述べて、ごあいさつといたします。

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